この焦げた弁当箱は、爆心地から約700メートルの岩川町で被爆した、当時14歳の堤 郷子さんの遺品です。
中にあったご飯は、その後の火災で炭化していました。右側に見える小さいほうの副食入れの裏側には、「二の三 ツツミサトコ」と刻まれています。
郷子さんは、当時、長崎市立高等女学校の学生でしたが、学徒動員で浜口町の三菱長崎工業青年学校工場で働いていました。8月9日は、朝から空襲警報が出ていたため岩川町の自宅で待機中、祖父母とともに被爆し、即死しました。この弁当箱は、郷子さんの父親が、遺体を探しているうちに見つけたものです。